夜の九時になると、ミサキさんは自分の部屋のドアを閉める。
鍵はかけない。
ただ閉めるだけだ。
それが「ここからは話しかけないで」の合図なのだと、同居して三か月目に二人で決めたそうだ。
ミサキさんは三十代の会社員で、ゲイの男性と友情結婚して一年半になる。
取材のとき、彼女はその決まりを少し照れながら話してくれた。
「最初はリビングで同じ時間を過ごさなきゃいけない気がしてたんです。
夫婦なんだから、って」。
そう思いこんでいた三か月のあいだ、自分がなぜ疲れているのか、彼女にはわからなかったという。
友情結婚は気楽そうに見えるらしく、周りからそう言われることもあるそうだ。
でも他人と同じ家で暮らせば、家事の分担も起きる時間のずれもテレビの音量も、毎日の小さな摩擦になる。
そこに「好きで一緒にいるわけじゃないんだから、これくらい我慢しないと」という遠慮が重なると、疲れは見えにくいところにたまっていく。
ドアを閉める理由を、先に渡しておく
ミサキさんの家のやり方で僕がいいなと思ったのは、ドアを閉めることそのものより、閉める理由を相手に先に伝えてあることだった。
閉まったドアは、理由を知らなければ拒まれたように見える。
知っていれば、ただの「九時」になる。
MITRAの運営は、友情結婚を同居が前提の暮らしとして扱っていて、一人になりたいから住まいを分けるという解き方は勧めていない。
生活を共にしないなら結婚という形をとる意味が薄い、というのが代表の考えだ。
僕も取材を重ねるうちに、同じところへたどり着いた。
足りなかったのはたいてい部屋の使い方や時間の区切りで、家そのものではなかった。
個室がひとつあるか、干渉しない曜日がひとつあるか。
それだけで息のしやすさがずいぶん変わる家を、何軒も見てきた。
同じ趣味は、同じ温度ではない
趣味の話も書いておきたい。
MITRAが2周年の記事で書いていたことのなかに、少し意外な話があった。
運営に届く「別れました」という連絡のなかに、同じ趣味をもつ人どうしのペアがけっこうあるというのだ。
理由は、ハマり具合が合わないこと。
読んだとき、ああ、と思った。
同じバンドが好きというのは出会いのきっかけにはなる。
けれど、毎週末ライブに遠征したい人と、配信で観られれば満足な人が一緒に暮らすと、「好き」の温度差が毎週あらわになる。
片方は誘いを断られるたびに少しさみしくなり、もう片方は断るたびに少し後ろめたくなる。
趣味が違っていれば起きなかったすれ違いだ。
だから僕は、趣味は二人で分け合うものというより、それぞれが自分の時間のなかで守るものだと考えている。
独身のころからの友人と会う日も、一人で遠征する週末も、手放さなくていい。
それはわがままとは別のものだ。





